2014年御翼4月号その3

爽快な気分と健康を得る法  ノーマン・V・ピール『積極的生活の技術』(ダイヤモンド社)より

 飛行機が飛び立つ前にエンジンの調子を整える必要があるのと同じように、人間にも調子を整える操作が必要である。人間の身体は、延べ何里にも達する血管(毛細血管を含めると地球二周半)や神経(神経は72q、脳などの神経細胞は50万q)を持っているのだから、まずそれらを刺激しなければならない。同じように、心や魂も、全能力を発揮するためには絶えずその調子を整えておかねばならない」とピール牧師は、著書『積極的生活の技術』(Stay Alive All Your Life)で記している。
 妬みや憎しみなどの不健全な考えは、私たちの精神や感情に悪影響を及ぼし、人は活気や活力を失う。キリストの説いておられる真理に逆らって生きるときは、あなたは活力を涸(か)らしているのである。悪い考えと生き方は知らぬ間に人間性を傷つけ、神経を破壊してしまう。それは実際にあなたを殺しかねない。信仰が衰えて悪い考えが支配するようになると、人間は病気になるのだ。信仰は信条や思想よりも強力である。それは生命力である。
 ピール牧師はあるとき、午前二時に知人の医者からの電話で起こされた。「私の手に負えない患者がいるのです。意識を回復したり失ったりして、患者はもう死にかけています。私を助けてくれる人が必要なのです」と医者は言う。牧師は、「こういう状況の病人に私は何を言えばいいのでしょう?」と尋ねた。「私は、あなたに患者になにか言ってもらおうと思っているのではありません。神の名においてあつまれば、神はそのなかにあって助けたまうと聖書に書いてあることを思い出してください(マタイ18・20「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」)。ですから、聖書に述べられてあるとおり、医者の私と牧師のあなたとの二人があの部屋へ入って行って、イエス・キリストの治療の恵みの信仰で、あの部屋を一杯に満たそうと思うのです。肉体の医師として、私はできることは全部いたしました。しかし私は偉大な医師であられるキリストの代行者でもあります。医師としての私は病人の手当をするだけですが、神は病気を癒したまうに違いありません。あなたも神の僕であられる点で、私とあなたとは同僚です。この病人を癒すには、われわれ二人の協力が必要なのです」と医者は言った。
 二人は病室に入ると、ベッドの両側に座り、それぞれ聖書の言葉で祈った。二人とも非常に明瞭に神の霊を意識した。すると、最初は落着きがなく、熱っぽかった病人も、それを感じて静かになり、眼を開けて、優しい微笑を浮かべて二人を見た。それから眠った。医者と牧師は、一時間くらい座って祈ったり、キリストの治療の力について話し合ったりした。その会話が、病人の意識の中に実際に吸収されたのだった。「危機は去りました。もう大丈夫です」と遂に医者が言った。
 この経験からピール牧師は、キリストは、私たちの霊魂の治療者であるばかりでなく、同時に、私たちの心と身体の治療者でもあることを知った。キリストの福音は積極的に病気に応用できることを悟ったのだ。心が誤った考えに毒されているために、活気も感じないし気分もすぐれない、という人が意外に多い。彼らは憎み、怒り、緊張し、失望し、不安に満たされているのである。肉体は不健全な考えから悪い影響を受ける可能性があることに、今日ではむしろ常識となっているといってよい。

 次の方法は、爽快な気分と健康を得るための助けになるだろう。
一 病気になったときには、医者を訪ねると同時に、牧師に迎えをやる。
二 キリストの治療の恵みを信じて、それがあなたの内に働いていることを肯定する。
三 あなたの身体を聖霊の宮だと思って注意して扱う。
四 憤怒と憎悪をきれいに吐き出す。
五 あなたの医者が、神という偉大な医師の僕として治療の技術をもっているように祈る。
六 身体と心と魂を、毎日の礼拝と感謝の祈りによって調整しておく。
七 常に健康な状態を心の中に描いて、あなた自身やあなたの愛する人たちについて病的な考えを抱かない。
八 創造したまう神はまた改造することもお出来になると信じ、常にあなたの中で働いている改造の力について考える。
九 聖書に出ている健康になるための教えを研究して、実行する。
十 ヨーロッパの最も有名な医者の一人だったアムブロイス・パレの有名な言葉を忘れない。「私が彼に手当をした。神が彼を癒したもうた。」

 人の魂と心、体の癒しを最優先されるイエス様に、全てをお委ねしよう。そのために、以下の方法も有効である。
 肉体と精神と霊魂を調整する技術
 第一、毎朝身体を真っ直ぐに伸ばしてゆっくりと深呼吸をする。
 第二、詩篇二三篇をゆっくり信心深く反復する。一節毎に感謝を捧げるために休みながら。例えば、詩篇二三篇一節には「主はわたしの牧者であって」と書いてある。これを唱えた後、神があなたを見守って世話をしてこられた有り様に思いをめぐらす。
 第三、同じようなやり方で主の祈りを繰り返すこと、各節ごとにちょっと休んで感謝しながら。
 第四、毎日数回手を休めて二分間お祈りをする。それは一日二十分ないし三十分の祈祷を意味する。しかもそれは、感謝と喜びの祈祷である。普通の人は、一日三十分どころか、数時間もの間陰気な考えにとりつかれているが、これはその人から生命を奪っていることになるのである。これに反して、この感謝と喜びと信仰の短い祈りは、その人に強力な強壮剤のような効果を与える。

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